館林城跡の城山を見上げながら、散策を開始。
到着するなり検索で見つけた「歴史の小道」のマップを参考にさせていただいた。
参考記事
早速見えた建物は「ロートルメゾン西ノ洞」さんというレストラン。昭和末期の比較的新しい建物だそうだが、この一帯の雰囲気によく調和していると思う。
その先に見えてくる「足尾鉱毒事件田中正造記念館」。小学校の国語の教科書で深く知った世代。
過去のメディア記事によると寄贈された民家に2013年に移転してきたらしい。
参考記事
この記念館手前のマンションが不思議な造りで、撮影はしなかったがとても印象に残った。ピロティ部分に一部食い込む漆喰の壁。ほわい?
この先は商店が続き、駅に向かって商業地らしさが色濃くなっていく。
細いドアの並ぶ商業施設。
揃った街灯に商店街の名残を感じる。
「歴史の小道」マップにも掲載されている外池商店さん。屋号は「和泉屋」、古くは造り酒屋、さらに味噌・醤油の製造業も営まれてきたそう。
塩小売店プレート。
まちなか散策のマップが掲示されていた。
お向かいに変則的な看板建築。
外池商店さんの前から始まる路地は商店が多く看板建築も見える。
この通りのハイライトが見えてきた。
国の登録有形文化財、旧館林二業見番組合事務所。
二業・・・芸者屋さんと料理屋さん。花街の面影。一階は事務所、二階は芸者さんの稽古場だったそうだ。
街灯が可愛い。
旧見番事務所のお隣の緑の看板建築のお店も良い佇まい。
この先、駅前の大通り県道57号へぶつかるまでもう少し商店の並びが続く。
こちらも立派な看板建築、かつての酒屋さん。
県道57号にぶつかったところに、青龍神社(青龍の井戸)。
徳川綱吉が城主の頃にこの井戸から女官姿の清龍権現が姿を現したという言い伝えが残っているそうだ。
「里沼(SATO-NUMA)−「祈り」「実り」「守り」の沼が磨き上げた館林の沼辺文化−」の構成文化財との説明があった。このように文化財を記録していく動きは喜ばしい。保存にはまず、記録から。
井戸はこれ・・・かな?
さて、県道57号へは出ず再び外池商店さんまで戻り、もとの道を歩き続ける。
この先は駅へ向かう商業施設といった趣。バラエティ豊かな看板建築や装飾テントを鑑賞し歩く。
印象的だった二軒。
かと思えば立派な旧町家にも出会う。
風化してしまっていますが、「スペシャル カクテール デンキブラン」と読める。どんな看板だったのだろう。
軒下が豪華。
横の通りの奥に見えた「松の湯」さんの近くへ行ってみた。検索すると「休業」や「廃業」の文字が見え、もう営業はなさっていないようで残念だが、まるで今にも今夜の暖簾が上がりそうな佇まい。
この通りにもお店や町家が散見された。
一本逸れてしまったままなので、駅の方向へ軌道修正。
文福酒造さんの店舗が保存された「毛塚記念館」、国の登録有形文化財。消えゆく町家を保存いただいていることに感謝しかない。
進路は行き当たりばったり。駅の方へ。
館林駅の旧駅舎はフォトジェニックな近代建築。
あちらが新駅舎。
ところで、なぜ館林に信楽焼の狸が・・・?と思ったが、ここ館林にあるお寺がぶんぶく茶釜の昔話の発祥の地なのだそう。狸のお隣の「不屈のG魂誕生の地」の碑も気になるが、NPB公認の野球の聖地のひとつだった。
駅前の商業施設の裏手に、これまた近代建築。
こちらは東武鉄道の変電所だそう。
駅前の大通りは一般的な地方都市の大きな駅前の姿。
大通りを歩いてしまっては味気ないので、通り北側のささやかな盛り場を歩く。
出世稲荷神社。商業地で屋敷神的なお稲荷さんにはよく出会いますね。
県道2号線沿いの近代建築風な看板建築。町家部分がかなり奥まで長かった。
その近くに入り口のあった青梅神社。鳥居はあまりに逆光で撮れず。こちらは絵馬殿(額殿)。
青梅神社の名が示す通りの天満宮。菅原道真公が投げた四つの梅の実が飛んだ先の一つ、という大変な由緒の神社だった。
立派な絵馬は風化が進んでいた。
本殿。
欄間彫刻が鮮やか。
神社会館かな?と思った建物。
ポンプ井戸。
青梅神社の裏手に出ると、なんとも漂う艶の残照。
とりわけこの三階建ての建物は、おそらく料亭だったことだろう。
お向かいのお店も裏手が立派な看板建築。
駅前の大通りを挟んだ、こちらも本町。
この辺りも料亭の面影を感じる飲食店がいくつか。
宵稲荷神社。(あまりの暑さに、遥拝して通過・・・。)
大正10年創業という老舗割烹屋さん。
鮨店や居酒屋さんが点在していた。
(2023.08.14)
館林市ちょっと歩きで出会った神社のまとめ。
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