アノヒアノト記

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妻籠宿を歩く① 寺下・尾又地区

長野県木曽郡南木曽町(2023年8月)

中山道を走り午後遅くに到着した妻籠宿。

広い広い妻籠宿町営第二駐車場に入庫すると、南北に長い妻籠宿の真ん中辺りから宿場町に入る形になる。

妻籠宿と中山道に沿うこの清流は蘭川(あららぎがわ)。

まずは妻籠宿の南半分、寺下地区を。

先ほど訪ねた奈良井宿に比べ、外国人観光客が非常に多い。

街道の両脇に見事に立ち並ぶ旅籠建築の建物。

中山道木曽路では今でこそ多くの宿場町が有名だが、どこよりも古くから全国に名を知られていたのは妻籠宿だった。(己の経験上、昭和後期の東北にまでその名が聞こえてきていたのは妻籠宿、次いで馬籠宿。)それもそのはず、昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群保存地区の制度が発足したのち、翌年昭和51年の重伝建第一号がここ妻籠宿だが、むしろこの妻籠宿の保存活動こそが、伝統的な町並み保存という概念から重伝建制度誕生を後押しする先駆者たる地域だったという。何せ昭和46年には「売らない・貸さない・壊さない」という住民憲章が制定されている。古い町並みや家屋の保存には犠牲も強いられることを思うと、妻籠宿の方々の先見の明と努力には感謝しかない。

中でもこの寺下地区が保存活動の発祥の地だそう。

旅館の看板。

・・・これはなんだろう?

先に訪れた奈良井宿でも水場を多く見たが、ここ妻籠宿では「水舟」と呼ばれる、自然木の幹をくり抜いた水の槽があった。

水舟

 

現住では無さそうだったお宅。

「奉祈念秋葉三尺坊安護所」と書かれた秋葉山のお札。

こちらも保存が図られている上嵯峨屋さん。

奈良井宿でも見かけた焚き木のような木片。これは一体・・・?(迎え火か送り火の残りと想像したが、真相や如何に。)

他のお宅の前でも見かけた。

 

酒屋さん。

家々の間に豊かな水の流れ。

蘭川に架かる美しいアーチの尾又橋。昭和32年竣工のコンクリート橋。(人はその左側に新たに架けられた歩行者用橋を渡るようにと書いてあった。)

尾又橋

橋のたもとから見えるあの建物は・・・?

橋を少し渡ると見えた。関西電力妻籠発電所だそうだ。

関西電力妻籠発電所

振り返れば、橋のたもとの商店には雪印アイスクリームの古いアイスショーケースが。

引き返しましょう。なおこの辺りは尾又地区と呼ばれるそう。

この水舟は自然と同化しつつある。

妻籠宿 水舟

 

妻籠宿

・・・!?いろいろなプレートをまとめた台座というか基板に、きのこ・・・???

柊鰯!

柊鰯

瑠璃山光徳禅寺の大般若のお札(寶牘)。妻籠宿にあるお寺。

先ほども拝見した建物を復習しながら北上していく。

あっ、またあの木片が・・・。

 

妻籠宿

こちらは立派なお堂に祀られた延命地蔵尊。文化10年、蘭川の川原にお地蔵さんが浮かび出ている石があると旅人に教えられた光徳寺の和尚さんが村人の皆さんと一緒にこちらまで引き上げて祀られた、との言い伝えがあるそうだ。

妻籠宿 延命地蔵尊

地蔵堂から見上げた高台には豊川稲荷大明神。

地蔵堂の隣には、「寒山拾得」の石仏。寒山拾得・・・Wikipedia先生によると寒山拾得(かんざん じっとく)は、中国江蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寺・寒山寺に伝わる風狂の僧、寒山と拾得の伝承。とのこと。

どちらも酔狂な脱俗のお坊さん(?)だったそうで、続いて「寒山文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の再来と呼ばれることがあり、また師の豊干禅師を釈迦如来に見立て、併せて「三聖」あるいは「三隠」と呼ぶ。」という説明もあったので、石仏の範疇なんだなぁと思う

その隣の水場には水神さんが祀られていた。

寺下地区でした。

旅館松代屋さん。

一段高くなっているところから見える板葺きの屋根。

松代屋さんから先は街道がカーブしており、ここは桝形といってクランク状になっており、宿場町への外敵の侵入を防ぐ役割がある。

この先坂道を上がると、元祖妻籠宿とも言える上町・中町・下町など脇本陣などがある賑やかな通りとなっていた。

・・・つづく。

(2023.08.16)

 

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