村山市の東側、奥羽山脈から少し飛び出した山地の麓にある中沢地区。

この地区に限らず、この市に限らず、山形県に限らず。東北の山村は過疎が進んでいる。主を失った茅葺屋根が冬を越えられず壊れていく様子を見るのはつらいものがある。

地区の入り口に二基。湯殿山と右側は青面金剛像ではないかと思う。画像を拡大すると台座が3列に膨らんでいて三猿のように見える。

更に進むと民家の敷地の斜面にも石碑群があった。左は庚申塔。角柱はわからない、供養塔かもしれない。次が地衣類に覆われて見えづらいが十八夜塔。右は巳待供養塔だった。信仰の山と言われる甑岳に近いだけあり、集落の信心深い歴史が窺える。

畑の脇に球体の石油タンク発見。昔はどの家にも、私の実家にもあった。家を建て替える時にどこかに行ってしまったが、どのように処分されたのだろう。
その特異な形状から、「スプートニク型」と称されているのだそうだ。ただ、山形でよく見るこの球形のタンクはスプートニク型の例としてネット上でよく見られるものとは3本の脚の形状がちょっと違う。メーカーが異なるようだ。

目的地到着。一軒公民館や集会場のようだが、玄関には「甑山阿弥陀尊」という扁額がある。甑のお山はこの辺りを見守るように聳える甑岳のこと。

阿弥陀様なのに紙垂と注連縄がかけられ、神様だろうが仏様だろうが尊いものは尊いという素朴な民間の信仰心がとても好ましい。
玄関の脇に隠れるように「中沢 児童遊園地」の看板が残っている。この小学校区内はどこの地区でも、神社やこうしたお堂の前の広場はこの児童遊園地の看板が立っていたと記憶している。子供たちの格好の、そして安全な遊び場だった。自分も地元の神社の前庭にはこの看板があり、神様の庭であることに関係なくその辺を掘ったりしていたものだ。

このお堂の前にも石碑が綺麗に並んでいる。こちらは湯殿山。

三界萬霊等。

右は中沢念仏講の方々による名号塔。左側は六面幢。

六地蔵がくっきり彫られている。この小学校区(大倉地区)には区内六各地に六面幢が一基ずつ分布しているというのを昔読んだ覚えがある。これまで見ているのは自分の地区と隣の大上地区。あと三基探してみたい。

この中沢地区には「わら一束(わらいっつぉぐ)」という行事があったのだが、今はどうだろう。私の地元は地区が違うので実家に聞いてももうわからない。私の記憶ではこのあみださまを氷と雪で固め、大晦日の夜(元日だったかも)に子供たちが背負って家々を回り、お金やおごふ(と地元では言っていた、神仏各種行事でもらうお菓子)をもらっていたと記憶している。
山形県のデジタルコンテンツ協議会のウェブサイトに動画が保管されていた。RealPlayerだけではなくぜひYouTubeにもアップしていただきたい。


中沢地区の入り口から分岐した県道29号線は銀山まで続いているが離合の大変な細い山道。通称背炙り峠。冬季は閉鎖されている。この時は冬季だけではなくしばらく閉鎖されていた。


背炙り峠へ入る手前には中沢の棚田がある。やまがたの棚田百選。

(2022.05.20)