京都府木津川市(2020年12月)
京の都の奥座敷、隠れ里然とした木津川市の当尾地区は、古く平安時代から僧侶の修行の地だったそうで、浄瑠璃寺・岩船寺の両古刹と共に、鎌倉時代後期から室町時代にかけては多くの石仏・磨崖仏が造立されたそう。
観光協会さんのページにある加茂エリア観光パンフレット『当尾(とうの)石仏map』がとても見やすく情報量豊富。
参考記事
- たかの坊地蔵
- 西小墓地の石仏群
- 長尾阿弥陀摩崖仏
- やぶの中三尊
- あたご灯籠
- カラスの壺二尊磨崖仏
- カラスの壺
- わらい仏
- 眠り仏
- 名も無き四面仏と首無しのお地蔵さん
- ミロクの辻(弥勒仏線彫磨崖仏)
- 三体地蔵磨崖仏
- 一願不動
- 首切り地蔵
- 東小墓地の石仏群
- 大門石仏群
たかの坊地蔵
府道44号線、浄瑠璃寺口の交差点から当尾地区へ。まず出会えるのは西小区公民館前に並ぶ石仏群と「たかの坊地蔵」さん。


真ん中に鎮座するたかの坊地蔵さん。鎌倉時代の造立だそう。

たかの坊地蔵さんの左右には板碑型や石龕型のお地蔵さんが一列に並ぶ。ぽつぽつと供えられた湯呑が可愛らしい。


端っこには大変古そうな宝篋印塔。

微妙にパノラマ撮影を試みる。

西小墓地の石仏群
そのたかの坊地蔵さん(西小区公民館)から少し先に西小墓地という集落の墓地があり、入り口にある五輪塔二基は国の重要文化財。ただ背後は現代の墓地なので写真には撮っていない。
その近くに石仏が集められた一角がある。こちらも板碑型や石龕型の石仏が集められている。


少し離れたところにもっと多くの無縁仏群。

中央部で一群を率いるかのような二基。

こちらでもパノラマ撮影。隣には軍人墓碑が並んでいる。

道を挟んで林の中にも、数基の石仏。大きな石龕一基のそばには可愛らしい五輪塔。


長尾阿弥陀摩崖仏
西小墓地からさらに進み、道が緩く大きくカーブしたところで往来を見守る長尾阿弥陀摩崖仏。


像高76cm。そして像に対して大きすぎるような笠石が大変印象的。徳治 2(1307)年の銘があるそう。

やぶの中三尊
東小集落に入るとまた崖沿いの藪の中にある、その名も「やぶの中三尊」。

十一面観音菩薩と地蔵菩薩の立像、阿弥陀如来坐像の三体。

摩崖仏だが光背のように石を円く深く彫りこんでいる。

マップによると1262年、橘派の橘安縄作とのこと。1262年の記録は当尾では最古らしい。


あたご灯籠
火伏の神愛宕さまに捧げられる愛宕灯籠は関西各地で見られるが、当尾の愛宕灯籠は自然石をそのまま利用したようなユニークな形をして大変愛らしい。


思わず「あたご灯籠ちゃん!!」と呼びたくなってしまう。

マップによると「当尾ではお正月にここからおけら火を採り雑煮を炊く風習があったそうです。」素敵な風習!だが、おけら火って・・・?
白朮(おけら)というキク科の植物を焚いた火のことらしい。

カラスの壺二尊磨崖仏
近くにカラス(唐臼)の壺と呼ばれる石があるためこのように称されているようだ。

阿弥陀如来坐像。頭上の巨石が笠石のよう。

灯籠が直接彫られている。火袋が深いので灯明は直接ここに灯されるそう。

もう一尊は・・・?

阿弥陀如来の裏側、崖側を覗き込まないと見えない地蔵菩薩の立像。

林の道を歩いてきてしばし開けたところにあり、存在感際立つ。

カラスの壺
石仏・・・ではないがカラスの壺。カラスではなく唐臼の壺。磐座関係ではないらしく、木津川市のサイトによると、近くの廃寺随願寺の礎石とのこと。



先ほど通り過ぎてきた随願寺跡(春日神社)。

その先、寂しい山道を越えてゆくことになり心細い。


わらい仏
道の脇、崖の上にわらい仏。

ここでもワイルドな笠石が磨崖仏を守る。

蓮台の上の阿弥陀三尊坐像。微笑みをたたえた表情から「わらい仏」と称される。


眠り仏
わらい仏様のすぐそばに、地上に頭だけ出した様子のお地蔵さんがある。


説明板の「やすらかにお休みください」という優しい結びが不覚にも目頭に来た。

名も無き四面仏と首無しのお地蔵さん
わらい仏さん・眠り仏さんの先にひっそりと佇む四面仏の石柱。

マップにもなく説明もない、まさに名も無き石仏。そなたは美しい。

なおも心細い山道を進む。

ミロクの辻と呼ばれる辻の傍ら、大きな樹の下に佇む首の無いお地蔵さん。

自分の地元では首を失った石仏はかなり見かけるが、関西に来てからあまり見かけない印象。そしてこの石仏の里でも他には見ない気の毒な姿。

自分はお地蔵さんかと思ったが、Googleには阿弥陀様とマッピングされている。
ミロクの辻(弥勒仏線彫磨崖仏)
そのミロクの辻は弥勒さんの立像が巨大な岩壁に線彫りされていることからついた呼び名のようだ。

像高170cm。

写真だとわかりにくいながらも、衣文はよく見えている。

ミロクの辻から一旦少し引き返す形で山道へ。こんなに山道だと思わないのでワンピースで来てしまっている。ワンピースでこの山に分け入る中年女性は他の人から見たら異常かもしれないが、他には誰もいなかった。


三体地蔵磨崖仏
山道の先に案内板が見えてきた。

これまた大きな岩壁に、三体のお地蔵さんが彫られている。

右手に錫杖、左手に宝珠。現在過去未来を表すお地蔵さん三体は六地蔵以前の信仰形態だそう(と観光マップに書いてある)。

一願不動
山を下り、岩船寺境内を巡った後に岩船寺の裏手で再び坂登り、その後崖を降りると一願不動さん。


また大きな立岩なので大きな磨崖仏かと思ったら岩壁いっぱいではなく、岩の下の方に可愛らしく彫られていた。


またここを登って帰らねばならない!

首切り地蔵
岩船寺界隈から峠を越え、あたご灯籠・やぶの中三尊付近の東小地区まで戻ってきた。
首切地蔵さんの辺りには落ち葉の絨毯。

首の部分のくびれが深いため、首切地蔵さんと呼ばれているそうだ。(処刑場にあったからとの言い伝えもある、と説明板にある。)当尾で最も古い石仏の一つとのこと。

傍らに十一面観音像と板碑、石龕。

こんな小さな石碑も。

東小墓地の石仏群
首切地蔵さんの先、地域の墓地がある。

石仏マップに「東小墓地五輪塔他」とあるが、あれだろうか・・・現役の(?)墓地に踏み込むのは躊躇われて確認していない。

現代の墓石の下に石仏群が並べて祀られている。

これらもかつてはどなたかの供養塔であり墓石であったのだろう。でも時間が経ち持ち主が一目ではわからなくなった墓石は石仏さんになる、と自分で勝手に思っている。
我が実家の畑にも誰が弔われているかわからない墓石が11基ある。おそらく土葬の墓石で、父方の祖父関連だとは思うのだが、満州でみんな亡くなってしまいもはや確認するすべはない。これらの墓石たちもあと百年もしたら路傍の野仏さんになるのだろうな。

供えられた花は新しく、地域の方の信心を思う。


どなたか特定できそうな戒名だがここに安置されているということはもう無縁さんなのだろう。お地蔵さんと、五輪塔板碑。




ひと様の墓石を愛でて申し訳ないが、関西に来て初めて見た「五輪塔板碑」にすっかり魅了されている。可愛いと思って申し訳ない。だが可愛い。
双体の石龕地蔵さんもね。

大門石仏群
石仏マップ上にはまだまだ多くの石仏ポイントがあるが徒歩ではちょっと遠いので、今日はここまで。東小墓地から竹薮の道を少し入ったところにある「大門石仏群」。

こちらは訪う人もなさそうで、林の中にひっそりと(でも無数に)集められており、多くは苔生し蔦も絡まっている。これらも一つ一つがかつてはどなかの供養塔だっただろう。なんとも幽玄な空間だった。
ここは五輪塔板碑や板碑のお地蔵さんが並び、並べた方々の意図を感じる。






五輪塔板碑ちゃん!!

石龕地蔵さんだけが集められた一角もある。センスを感じる・・・。
しかも右手前の火袋のある石造物はあたご灯籠さんに見えるのだが、違うかな?


奥にぽつんと五輪塔。

この大門石仏群の向かいには春日神社という神社があった。

小さなお社だが周囲を塀に囲まれ、こちらも幽玄そのものだった。


(2020.12.19)